
飛生芸術祭 《Beyond/あっちへ》2014-15年 廃校舎 壁にコーキング、紙、鉛筆、アクリル、Live Paintingに加筆 | Acrylic on abandoned school building, with additional painting on live painting ,TOBIU Art Festival
・点や線の錯覚や円や三角や四角の死角に隠れし核を視覚に書くよう、果敢に感覚で掴んだ間隔を描く。
(てんやせんのさっかくやえんやさんかくやしかくのしかくにかくれしかくをしかくにかくよう、かかんにかんかくでつかんだかんかくをかく。)
幾何への欲と意と、絵心琴触れた。
ウロコ、これを剥いだ私が家を視た。
残る何か、場所、軸、差を敷いて座る。
雲追い旋回、眺めは二点。線か意。
画、コンパスを差し何度か、どんな示唆を、
スパン越え。
いかんせん手には目がない。感性をも狂わす手。
意思を削除し、馬鹿になる。
この民を栄華した話題は折れ、心打たれ、フトコロ凍え、
問い解く、世の絵描き。
きかえのよくといとえごころことふれたうろここれをはいだ
わたしがいえをみたのこるなにかばしよじくさをしいてすわる
くもおいせんかいながめはにてんせんかいえこんぱすをさしなんど
か
どんなしさをすぱんこえいかんせんてにはめがないかんせいをもく
るわすていしをさくじょしばかになるこのたみをえいがしたわ
だいはおれこころうたれふところこごえといとくよのえかき
回文(言語の反転)

Live Painting -飛生芸術祭 / TOBIUCAMP-
-9月14日トビウキャンプ当日、
前日までの90%の雨予報は外れ、空は晴天、心地よい昼。僕はなにか絵でも描いていようと思って、キャンバスのある中庭に行くと、何か、黒い(人型の)存在が独り、木の彫刻の上に鎮座していて、これは今僕は不思議なものを見つけたと思い、あっけにとられる間もなくすぐにそれをスケッチし始めた。すると黒い存在は、それまで黙っていたのにその彫刻の上に立ち上がり不思議な動きを始めた。こんなところでバランスを取るなんてやはり普通ではない。
それから黒い存在は地に下りてきて舞ったり座ったり自らのあらゆるフォルムを試している。僕は動かれると描きづらいなと思いながらもデッサンを続けた。
僕の感じる描きづらさをよそに自由に動き続ける黒い存在。美しいフォルムだ。僕はその姿を夢中で捉えていった。
気づけば壁はそのシルエットで埋まり、空は暗くなり、存在は姿を消していた。
僕はこの不思議な体験とその絵を残せたことに多少の満足を覚えつつ、絵を残したキャンバス=壁をライトアップした。
体育館でのbananasのライブが終わり、辺りは静かになり、僕は自分の描いた絵を見ながら先の不思議な体験の記憶に浸っていた。すると、黒い存在が再び姿を現した。影を引き連れて。
存在と影は自らのシルエットと戯れるようにそこら中を舞っている。時間の感覚を、存在と影とシルエットによって見紛うような、そんな時空間。今日よりも前に足場をつくって高所で描いた絵にも影は悠々と届き、上下の絵は一時的に繋がったようにも見えた。黒い存在と影とシルエットと上の絵の色が一つの画面になって僕の目に映った。これは画期的だなんて思って写真を撮っていたら、今度はなんと白い存在がその中に入ってきたのだ。
白い存在と黒い存在は互いに黒い影を引き連れてやはり僕の残した絵と戯れているように見える。
時に一体化したり、時に巨大化して見ているものの目を騙している。
二つの存在は確かにそこで戯れそしていつの間にか消え、僕の絵は僕の描いたものでないようにも思えた。
僕が残した存在のシルエットに、今度は存在達がその影を残していったようだった。-
Live Drawing(視点の反転)
ダンサーをライブペイントにて等身大で描写
お客さんと共有するモチーフをドローイングで残していくが、その実、お客さんはダンサーの正面を鑑賞しながら背中側から描写されたドローイングを残像のように残されていくのを眺めていく。
視点の反転、視点の交換。
個展
お詣りのとき何も考えていない、音を聴いている 2025
closing party
LIVE DRAWING at Tsubame studio
dancer Kohei Fujimura
dj Mitayo
drawing Kan Togashi
壁画 mural art
エスコンフィールドHOKKAIDOホテル
2025年開業
貸し切りサウナ”リトリート”内壁画制作
Concept
抽象画、風景画、人物画、線画、色彩画、モチーフを定めず幅広く雑多に絵を描く自分にとって、雪景色の絵を描くのは少し特別なことだ。秋の終わりから身が締まる寒さの中、冬の始まりを確信させるように白い色が誰のどんな事情にあっても平等に、全く自然体の表情で空からひらひらしんしんと、またはこんこんと舞い降りてきて地上に触れ、そのうちに積もりいつもの風景を一変させる。積雪がピークのときは小川などでは川ごと雪に覆われることもあるが、今回モチーフにしたのは四月前後の雪解けの山の麓の風景。真冬と違いこの頃は、それでもほとんどの視界は雪の白であっても確実に春の色や匂いを帯びている。生の息吹が聞こえ始める。自分は具象画においてはほとんど見たままに描写することが多いが、雪景色の場合、画面を埋めた雪の白をキャンバスに、もう一度絵を描きたいような創作意欲が湧く。私の祖父は小樽・札幌を拠点にした画家で、代表作は雪景色だった。「春の泉のほとり」という正に雪解けの小川を描いたもの。北海道に居を構え冬の景色を描くことは、染み渡る寒さ、冷たさ、そしてその中で完成させる充実感を身体そのもので感じていたと想像する。自分は今は東京に住み、主に街や抽象画を描くことが多いが、このような場所にまた北海道の雪景色を描く機会をいただけたことは、こうした記憶や経験を踏まえても特別なことに思う。
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I paint a wide variety of works without a specific motif, including abstracts, landscapes, figures, line drawings, and color paintings, so painting snowy landscapes is something special for me. As the chill of late autumn sets in, the whiteness of the snow falls from the sky, fluttering gently or plunging down, seemingly confirming the onset of winter, regardless of who it is or what their circumstances are. It touches the ground, eventually piling up and completely transforming the landscape. At its peak, snowfall can cover entire streams and rivers, but my motif for this piece is the foothills of a mountain after the snow melts around April. Unlike the depths of winter, at this time, even though most of the view is still covered in snow, the colors and scents of spring are unmistakably present. I can almost hear the breath of life. While I generally paint figurative paintings as I see them, snowy landscapes fill the canvas with a creative urge to paint again. My grandfather was a painter based in Otaru and Sapporo, and his most famous works were snow scenes.The painting, titled "By the Spring Spring," depicts a stream of melting snow. I imagine that living in Hokkaido and painting winter landscapes meant feeling the pervasive cold, the chill, and the sense of fulfillment of completing the work in that environment with his very body. I now live in Tokyo and mainly paint cityscapes and abstract paintings, but given these memories and experiences, I feel that it was special to have been given the opportunity to paint the snowy landscapes of Hokkaido in a place like this again.


都市における路上のスケッチ(転写による視界の反転)
年間1000枚以上のスケッチを描出、
創作の起点として路上に立つ。
”街”を描いていると、いわゆる消失点(視点の一番遠く)に向かう放射状の線が見えてくる
その線の上に人々はいて、それぞれが消失点を自分の一番遠くに持ちながら、常に呼応し移動を続けている。
視界のフィールドを視覚でトレースするようになぞり、右手でその通りに再現していく
そのとき手法は”転写”を用いていて、描いた紙の裏側に世界が構築される
それはまるで消失点側から自らを含む世界の配置を知ることのように、
自分を写す鏡のように、後ろから読む回文のように、またはモデルの背中を描くように、
自分が世界を受け取るように、世界も自分を受け取っている。交換している。









DESIGN/EVENT FLYER









富樫 幹 | Kan TOGASHI
1982年生まれ。 北海道手稲山(標高1,023m)の麓で、札幌の最西端の町手稲出身。
現在は東京都在住。東京は人が多い。
大抵東上野の作業場で作業している。
出かけた先や移動中でも、スケッチでもするかとなることが多い。
自分にとって絵を描くことが業なのだからやるという面もあるが、スケッチはメモであって、その場にあるものや頭にあることをメモっておきたいということが先にある。
他の人があまりやっていないだろう手法としては、
ライブパフォーマンスで、躍るダンサーを等身大で描写していくもの。
動いている対象を順次残していくという点で、歩行者や街の景色を描くスケッチと趣旨は近いが、
大きな画面では絵の進む過程を鑑賞者と共有できる。
そして等身大であることから、「モチーフを”そのまま” キャンバス(壁・支持体)に移行する」というコンセプトが成り立つ。
抽象画においては例えば音のように要素としてつくり、それを組み合わせて、空間で音楽的に成立する時間軸を発生させたい。
時間性と方向の発生。スケッチやダンサーの描写にも共通すると思う、そこに特性があるのだと思う。
またスケッチ、ダンサー描写、回文、各シリーズに共通する[反転・逆性]を当サイト内で示した。
・回文(言語の反転)
・Live Drawing(視点の反転)
・スケッチ(転写による視界の反転)
これらは世界を一方向から固定するのではなく、異なる方向から再確認するための方法論として位置づける試みである。
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