当パフォーマンスにおける黒塗りについて

 

当パフォーマンスは2013年9月に白老町飛生地区でのイベント、飛生芸術祭/TOBIUCAMPの中で行われたもので、私の独断により企画発案されたものです。

概要としては、絵描きが黒い"存在"を見つけ、そのシルエット/影をその場でスケッチ、描画していくというものです。黒い存在をコンテンポラリーダンサー東海林靖志が、絵描きを富樫幹が扮して行われました。黒い存在とは、実際には黒塗りのダンサーですが、ここではコンセプチュアルアート/インスタレーションの一環としてあくまで人間ではない、架空の生物である可能性を強調して一貫して「黒い存在」と呼んでいます。

 

詳細としての概要、コンセプトは

-昼間に黒い存在を見つけた絵描きが、その場でスケッチをするように、そのシルエットを壁に描いていきます。黒塗りの人型のシルエットに対して同じく黒いシルエットの絵を写実的にほぼ実寸大で連続して何体も描写します。一旦絵としては完成します。夜になりライトアップされたその場に暗闇から黒い存在が再び現れ、その絵をバックに踊ります。そのとき黒い存在には昼間にはなかった黒い影が伸び、その黒い絵と一体化します。影はダンサーの照明との距離によって伸びたり縮んだりし、黒い絵そのものを拡張させるような効果を狙っています。

 

ここまでが黒いダンサー、そのモチーフをそのまま描き写された黒い絵、そしてダンサーの黒い影を一体化するというコンセプトをもって作られたパフォーマンスの概要です。

 

偶発的ではありますが、終盤更に白塗りされた舞踏家「白い存在」がパフォーマンス内に侵入し空間の色、意味の対比を更に拡げます。

2体の「存在」が絡み、踊り、パフォーマンスは終了します。

このパフォーマンスでは上記のように描かれた絵としての黒、影の黒、闇に溶け込む黒、を主眼としたときのモチーフとしての「黒塗り」であり、長年に渡り黒人を苦しめてきたミンストレルショーに代表される黒塗りによる差別とは一線を画すものであると考えています。

 

しかしながら、「無知による」、「意図的でない」という釈明が常に意味をなさないように、この説明分も「私以外」には説得力を持たない可能性があります。

人を黒く塗ることがどんな背景であれ、どんな意図であれ絶対的に差別表現になるのかは私自身いまだ模索中また勉強中のため、現時点ではこの注釈付きで動画をアップしておりますが、これを見てやはり問題であるという見解、疑問、あるいは答えをお持ちの方は一報いただけますと幸いです。

ink@kantogashi.com

Kan Togashi